「う〜ん」
「(お嬢様・・・もう一息ですっ!)」
すやすやと、自分専用のソファで眠っているキャロライン(通称キャロル)。
彼女は、自分の大好物のおやつを食べたあと、最高級エステを堪能。
そして今、手を尽くすだけ尽くされた最高級ソファに寝そべっている。
言い方は悪いが、普段ならキャロルにそこまで尽くすことはないが、今回は特別である。
彼女を眠りに誘う必要があったのだ。
いつもなら、そんな寝ているキャロルを優しい瞳で見つめるお嬢様だが、
今は、じーっと睨むように見つめ、手元のものと見比べる。
筆を顔の横へ持っていくその仕種は、まるでプロの芸術家のよう。
不意にキャロルが頭の位置を動かしたあと、全身を伸ばし体勢を崩した。(あぁっ!)
その瞬間、凍てつくお嬢様の顔。そして講師のため息。
「さん。今日はもうここまでにしましょう」
「・・・はい」
「(お嬢様・・)」
近くのテーブルでお茶をしていた講師はお嬢様の元まで行くと、お嬢様の後ろからそれを覗き見る。
彼女は『ほらやっぱり』というような顔をして苦笑する。お嬢様はがっくりとうな垂れた。
「充分ですよ」
「どうもありがとうございます」
やはり今回も高評価だったのだろう。講師はあまり多くを語らず、アドバイスはほんの数点だけで終わった。
それを真剣に聞き、自分の“絵”を見つめるお嬢様。本当に真面目な方だ。
絵画の時間が終わり講師も帰宅し、今日一日の予定すべてが終わったところでお嬢様は落ち着ける。
お嬢様はお気に入りのソファに深く座り、着替えたばかりの真っ白のドレスに皺が入らないよう整える。
そんなお嬢様に紅茶を出し、「お疲れ様でした」と話しかける。
「今日も納得いかない」
「ご充分ですってば。あの絵でどれほどの価値が…」
「価値ゼロだよ。キャロルはもっと可愛いのー!あんな似非」
そう先ほど起きたキャロルを抱きしめ言うお嬢様。
今日の絵画のモデルはお嬢様の愛犬、キャロルだった。
もともと自分の好きなものには、拘るだけ拘るお嬢様だが今回はひどかった。
お嬢様は絵画も好きだが、キャロルへは壮大な愛を持っている。
いつもなら1時間程度で終わる講習も、今日3時間をかけて描(き上げた。
私からすれば、それはとてもお上手で初めて見たときは感動さえ覚えてしまうものだ。
お嬢様は拘り、上手くなるポイントを徹底的に身につけ仕上げる。ある種の完璧主義者だ。
そんなお嬢様は先日から生き物を描き始めたが、結局は自分の納得いかないまま終わってしまう。
どうやら生き物の絵画は、お嬢様の苦手分野なようだ。
(そういえば、昔から『人』は絶対に描かないな。お嬢様)
「そうなの。動物って可愛いでしょう?それを描きたいの」
「お嬢様の絵は可愛らしいと思いますが。・・もう少し具体的にご説明お願いします」
「生気。純粋な心。それが人間以外の動物にはあるの。絵からじゃそれが伝わらない」
「・・・そうでしょうか(充分イキイキとした絵なのに)」
「そうなの。キャロルごめんね」
自分と同じソファの上にキャロルを乗せ抱きしめるお嬢様。
キャロルは気持ち良さそうにお嬢様へ寄り添う。
(・・・お嬢様)
危うく口に出しそうになった言葉を引っ込める。何を自分は犬に嫉妬しているのだ。
本当にお嬢様の言うとおり、人間は醜い心を持った生き物だ。
自分の浅はかさに呆れ、切ない思いでお嬢様を見つめた。
(こんな私では、お嬢様を愛する資格すらない。本より身分が違いすぎるが)
もう大分前からわかっていた事実は残酷で、自分の身を砕けさせる。
それでも私は、お嬢様に尽くしていくのだ。執事として。生涯お嬢様に誓ったんだ。
「あ、花びら・・」
「え?」
お嬢様の視線の先には、花瓶に挿している花から落ちたものと思われる、一枚の花びらが床に落ちていた。
早急にその花びらの元へいき、「失礼いたしました、すぐに片付けます」と花びらを拾う。
すぐに袋へ入れようとするが、お嬢様の待ての声に自分は固まる。そしてお嬢様は“来い”と指示を出す。
お嬢様の元へ行くと、私の持っていた花びらをお嬢様は奪った。
「翼さんのミスじゃないよ。いま落ちたの、見てたから」
そう花びらを見つめながら言った。
お嬢様は花びらを高く上げ透かしてみたり、キャロルの鼻元でひらひら振って遊んだりし
一通り遊んだあと、何かをひらいたようにニコリと笑った。
「翼さん。私もう生き物はいいから花描きたい。バラ」
「バラ、ですか?」
「色はなんでもいいから。やっぱ花よねぇ絵画は。花がいいのよ」
出ました。お嬢様の十八番、八重咲きの花。
お嬢様はとにかく花びらがたくさんある花の絵が上手い。
それこそ試しにコンクールに出した際に、審査員長に『売ってくれ』と多額の取引をしたほどだ。
コンクール自体は小さめだったが、あの審査員長はそこそこ名のある方だったはずだ。その相手に。
私はまたそんな大作が見れるのかと、とびきりの笑顔で「かしこまりました」と申した。
*
「(さて・・・どれがいいものか)」
屋敷内の庭に広がる花畑。お嬢様からプレゼントされた土地、自分のバラ園で今日のモデルを探す。
いまはお嬢様はメイドとお着替え中。絵画の時間10分前。
今日は講師がドイツへ出張らしく、自由な絵画の時間だった。
基本、自由なお嬢様は、毎月一度はどのレッスンにもそんな日を入れている。休みと別に。
お嬢様は『それが効率よく続けるコツ』なのだと言った。(お嬢様は私より若いのに、私より沢山のことを知っている)
そしてお嬢様の注文どおりのバラを摘みにきたわけだが、モデルの色をまだ決めていなかった。
さてどうしようか。赤では先ほど考えたデザインイメージに合わない。
ここは淡い色のほうがいいか・・・。
バラ園内を少し早歩きで見て回ると、ピンク色のバラをみつけた。
おぉ!これならイメージどおりだ。ピンク色にしよう。
その中でとびきりキレイなやつを選ぶ。せっかくだから、これを描き終えたあと
髪飾りにでも細工して、お嬢様に差し上げよう。お嬢様はバラのヘッドドレスがお好きなのだし丁度いい。
きっと・・・お嬢様ならお似合いになる。可愛らしいだろう。
*
「ふぁー。終わった。やっぱ花はいい」
「お疲れ様です」
描き終えたお嬢様に向かって、額縁を持って歩みだす。
先にお嬢様へ向かっていったキャロルがお嬢様と戯れている間に、その絵を額縁へ入れる。
おぉ、今回もこの短時間でなんという作品を・・・。
入れながら思う。お嬢様の絵は本当に素晴らしい。
額縁をお嬢様へ向け、『完成画』を見せる。
「うん、いい出来。モデルがいいから。さすが翼さん」
「恐れいりますお嬢様。しかしお嬢様が描きあげたものです」
「そんなことないって。このバラ欲しいくらい」
「はい、そのおつもりです」
え、と。お嬢様がきょとんと首を傾げ、私を見つめる。
「当初から、お嬢様へプレゼントするためにデザイン致しました」
そう言って、髪飾りとして最後に手を加える。
そしてお嬢様の頭へ飾ろうとしたが「ちょっと待って!」止められた。
「着替えてから!ちょっと待ってて!」
「え・・?」
さっさと部屋から出て、3分程度で戻ってきたお嬢様は宣言どおり着替えてきた。
おまたせとにこやかに微笑み、絵画用の椅子へ元通りちょこんと座り
私に向かって誘うように目を閉じる。
(お、お嬢様!それは、それは・・!!)(キュゥゥン)
筋違いな妄想をしてしまった自分を呪う。そうにしか見えなくなってしまったじゃないか!
ドキドキと鼓動を強く鳴らしながら、バラをお嬢様の頭上へと運ぶ。(力んだ手で潰してしまわないように)
お嬢様の頭へ無事セットし、少し離れればお嬢様の目が開く。
「似合う?(えへへ)」
「えぇ、もちろんですとも(可愛い可愛い可愛い可愛い、お嬢様ぁぁぁ)」
見上げられたその目と少し照れているのか赤くなっている頬と。
思った以上に似合う髪飾りが、己を暴走させる。
危うく発狂するほど、お嬢様は可愛らしく微笑んだ。(あぁもう、これだから・・!)
おそらく真っ赤にさせてぎこちなく笑っている自分の顔も、
自分が持ってお嬢様に向けている鏡を見ているお嬢様には見られていないだろうから、まだセーフとする。
(お嬢様にそんな顔を見られたら、お嬢様と顔を合わせられなくなる)
お嬢様は相当気に入ってくれたようで、嬉しそうに鏡を見る。
そんなお嬢様に釣られて。いや、そんなお嬢様に私も嬉しく思い、笑った。
そうすればお嬢様はまた閃いたように微笑む。
「翼さん、じゃあ翼さんには今日描いた絵あげるよ」
「え、そんな。とんでもないです、私なんかに…」
「いいの、ギブ&テイクだよ」
売れば新しい燕尾服ぐらいは買えるだろうし。
そう付け足したお嬢様に、はっと色ボケていた意識を取り戻す。
「滅相もないです。一生大切に、いや家宝にさせていただきます」
「え、あ、・・そ、そう(真剣だな翼さん)」
がしっと強く掴んだお嬢様の小さな手を、自分の両手で包みながら言う。
売るなんて・・・それこそとんでもない、恐れ多い。私ごときが。
結局、お嬢様の平等精神に負け、受け取ってしまったバラの絵画。
(信じられない・・・。まさかお嬢様の絵画を自分の部屋に飾れる日がくるとは)
これから飾るのに、どこの壁へ飾ろうか。できる限り頭を回して考える。
嬉しくて仕方ないのだ。いつもの妄想癖はより早く駆け巡りはじめる。
しばらく絵画を手に持って考え耽っていた私だが、
目の前のお嬢様が私に向かって、私が持っていたはずだった鏡を向けている。(み、見られてた・・!?)
お嬢様はにこにこと微笑みながら、私が今の自分の姿をよく見れる角度で向けている。
その途端、また真っ赤に染まった自分の顔をお嬢様から背ける。あぁぁ!お嬢様と顔を合わせられない・・!!
ふるふるとついにやってしまったことに落胆し、しかしそれ以上に情けないちっぽけな姿をお嬢様に見られた恥じが自分を襲う。
そんななのに、私はそんな困り果て必死なのにお嬢様はくすくすと楽しそうに私を見て笑う。
な、何故笑うのですか?そう訊こうとお嬢様のほうへ再び向こうと振り返ったとき、
またまたお嬢様は良い考えを思いついたようで、にこりと笑う。
「あのさ。私、苦手克服するためにも、やっぱりまた生物描く」
「・・?はい」
「でも新しいこともしてみたいし、むしろしなきゃ克服できなさそうなんだよね」
お嬢様はそう区切って鏡を置き、筆を持ちキャンバスの手前へ行く。
「人はとっても苦手。大人はもっと苦手。だってよくわからないんだもの」
お嬢様の描きたいという『生気』や『純粋な心』のことだろうか。
たしかに大人になれば、純粋な心なんてないに等しいだろう。
生気だって、いまの時代では。同じ仕事を毎日して軽くマンネリ化してる人だっているだろう。
大人を描く、というのはお嬢様にとって特に意味のないものなのかもしれない。
「だけど人間だって生物だし、すべての大人がそうなわけでもない」
キャンバスを、私とお嬢様の直線状に置くお嬢様。
お気に入りの、真っ白のドレスに皺が入らないよう、絵画用の椅子へ座る。
ねぇ、翼さん。
「次は翼さんを描きたいな」
愛しい姫君へ
(お嬢様にとって、私を描くということに意味はあるのですか?自惚れてもよいのですか?)
2009.06.27