着慣れないから、肩からずるずる落ちる。
まだきつくしろというのか。もう内臓が飛び出そうだけど。
帯と襟を片手で整えながら、書類を作るもう片手は休まない。
正直イタリア育ちの私にとって、骸さんと日本にくるまで着物というものは知らなかったし、つい最近触れたものだった。
それなのにいきなりこのひらひらしたものを自分で着こなせるようになれとは無茶ぶりだと思うんだ。
しかしこっちの言い分なんて絶対聞かないあの人だから、そして私もそれをわかってるから無駄な言い訳はしない。言えない。
「ねえ。これなに」
「え、あの・・・」
まったく気配もなく音もなく、気付けば私の部屋のふすまが開けられてて、そこにはここの旦那様が。
相変わらずまっ黒の着物を着て、それは綺麗に整ってるわけでもないのに着こなしてると思わせる。少なくとも私は思う。
不機嫌そうな目つきはいつも以上に不機嫌そうで、少し嫌な予感がするが、これももう慣れた。
彼の手には手紙が一通、差出人欄には『犬』の一文字。宛て名はもちろん私。
恭弥さんが犬の名前を覚えてたかは定かではないけれど、「ここの住所、教えたの?」にじみ出る殺気から特定したことは間違いない。
「当たり前じゃない。所在地も知らないで、骸さんたちが送りだしてくれると思ったの?」
「誰が教えていいって言ったんだい」
その瞬間持っていた手紙を破ろうとするもんだから、とっさにその手から手紙を奪った。ひ、人の手紙をなんだと…!
ますます不機嫌そうにする恭弥さんは、私の肩に手をかけ、ずれ落ちそうになっていた襟を正してから、何も言わず出て行った。
・・・あ、できた書類、ついでに渡せばよかった。
つい呆然と見送ってしまって数秒経ってから気付いた。もう本当になんなんだあの人は。
この着物というものは厄介だ。着るのが難しいうえ、ちょっとしたことで着崩れる。
着崩れると肌が露出し、もちろんさっきみたいな場面では人の目に触れられる。それはまあ、そんなにだけど。
いつも無言で私の着崩れを直してくれる恭弥さんは気付いてないかもしれないけど、たびたび当たる。その、手が。鎖骨に。
あらゆる武器を扱う鍛えられた恭弥さんの手は、ごつごつしてて、骸さんや千種の繊細な手とはまた違う。
本人自体はそんなにたくましい体格をしていないからこそ、そういったたまの男らしさを見せられるとちょっと心臓が鳴る。たまに、たまに。
彼を意識するようになってからこういったことはたびたびあるが、いまだこの感情をコントロールすることは難しく。振り回されている。
こんななんでもないときにまでドキドキしてたら、この先やっていけない気がする。そりゃもうお付き合い、というかたちにはなっているけれども。
かたちだけであって、別段恋人らしいことをしているわけでもない。忙しい恭弥さんの仕事を、ただ手伝っているだけ。同じ屋敷にいるだけ。
草壁さんにはかろうじてその旨は伝わっているけれど、草壁さんの部下たち(という名の恭弥さんの部下)はまったく知らないことだろう。というか私認識されているのだろうか。
改めて意識するとちょっと寂しい現実ではあるが、そうも言ってられない。もともとそういう欲はない人なのだろうし。放置しているっていう考えもないんだろうな。
とりあえずその着崩れでいちいちドキドキしているようじゃ、恭弥さんとはやっていけない。
っていうかこんなんで動揺しているのも疲れるし、着付けを早く完璧にできるようにならなきゃな。
この屋敷に招かれたとき、屋敷内で和服以外の着用を禁じられ、着物数枚を渡された。
一番着やすい着物を引っ張りだして、着付けの練習をしてみる。仕事は一段落したし。
いま着ている着物の帯をするっと解き、新しい着物を羽織る。丁寧に、綺麗に着付けてみせる。
あまり夢中になりすぎたのか、いつも聞こえるような足音はそのときまったく聞こえてなかった。
羽織りを前に合わせたところで腰紐で結ぼうとするが、
腰紐の先を踏んでしまっていたのか、拾い上げた瞬間びりっと音を立て、破けてしまった。(!?)
焦ってその腰紐がどこまで破れてるか確認しようとすると、ふすまの向こうから遠慮がちに声が聞こえる。
「さん、いまいいですか?」
「え、あ、草壁さん・・・!?」
声がしてギョッとして振り向くと、少しふすまを開けた草壁さんがギョッとしたあとすぐに目を逸らす。
「すすすみません、お着替え中いきなり・・!」
「いや、大丈夫ですほら、もう結びますので前閉めてます」
そのまま帰ろうとする草壁さんを止める。用事があって来てくれたんだろうし。
幸いもうこの状態のまま結ぼうと思っていたので、襟は閉じてあって肌や肌着は見えない状態だった。
ただ片手で留めているから、手を緩めると乱れて肌着は見えてしまうのだろうけど。しかしこんな綺麗な状態にできたの初めてだから、このままキープしたい・・!!
片手で抑えながら草壁さんに寄り、閉じかけられてたふすまを大きく開ける。
草壁さんも私の格好を見て、見えないことで安心したのか正面を向いて話してくれる。
すると私が持っていた腰紐が目に入ったのか、腰紐を私の手から取ると新しいものを持ってきてくれると言う。
それと交換に、そのまま手に持っていたボロボロの紙きれを私に渡してくれる。
「これ、庭に散らかってたんです。つなぎ合わせると六道骸からさんへの手紙みたいです」
「手紙!? 犯人一人しかいないけどあの人は・・・っ」
ひ、人の手紙びりびりに破くか・・!? っていうか骸さんからの手紙破いたうえで、犬の手紙も破こうとしてたのかよあの人!!
草壁さんがつなぎ合わせてくれただろう手紙は大半がどうでもいい(よく言えば愛の言葉が書かれた)内容だったが、
難なく読めるくらい丁寧にセロハンテープで直されてた。ありがたい。
まあ内容はともかく、こうしてみんなと連絡取れることが大切であって。届けてくれた草壁さんにお礼を言うと、仕事に戻ろうと踵をかえす草壁さん。
しかし私から顔を背け正面を見た瞬間、立ち止まる。そして顔は強張った。
冷や汗すらにじみ出そうな表情に、何事かと私も視線の先をたどると…
「・・・なにしてるんだい。草壁」
獲物を咬み殺す、一歩手前の殺気をまとった恭弥さんがたたずんでいて、私も冷や汗をかいた。
え、なんであの人あんなに怒ってんの。草壁さんなにしでかしたの。私は知らんぷりしていいのかな。
とりあえず私は睨まれてないのをいいことにふすまをそっと閉めようとすると、
ズカズカ歩いてきた恭弥さんは閉じきるまえにガッとふすまを掴み、中へ入ってきた。(なになになになんで!??)
草壁さんの持ってた腰紐を素早く奪うと、ふすまに手をかけ、恐ろしいほど低い声で「あとで覚えてなよ草壁」と言い捨てピシャリッと閉めた。
え、え、え、なんでこの人は部屋に入ってきたんだろうか。悪いことしたの草壁さんじゃなくて・・?
よくわからんが触らぬ神に祟りなし。こういうときの恭弥さんには関わらない。距離をとる。この数ヶ月で学習したことだ。
自分の部屋でありながら隅に追いやられた私は恭弥さんの様子を見守ることしかできなくて、いまだ棒立ちになっている彼を見る。
恭弥さんは破れた腰紐をじっと、ただじっと見続ける。
不意に顔を上げたと思ったら、その腰紐を持ったまま、部屋の隅にいる私にゆっくりと向かう。
それはさっき部屋に入るまでのズカズカとしたものではなくて、きわめて優雅に歩いていた。
「・・・見られた?」
「え?」
目の前まできて、彼から発したのはその一言。
よく理解ができなくて聞き返すと、私の頬に手を添えられ、労わるように優しくきく。
「肌」
「あ、」
彼は、もしかして。腰紐を草壁さんが持っていたことから、私が脱がされたと思っているんじゃないだろうか。
草壁さんの性格を知ってる私としてはあまりピンとくる考えではないけれど、それ以外の思いつくだろうか。
それにしたって恭弥さんだって草壁さんのことよく知ってるはずなのに、そんな勘違いをするはずもないだろうに。
真一文字に結ばれた口は、少し、悔しそうに見えた。
頬に当ててた手は少しずつ下りてゆき、やがて鎖骨をなぞる。
またその手が当たると、私の心臓は落ち着かなくなる。それも、いつもよりも。
恭弥さんが見慣れない顔するから、いつもより激しく鳴る。その勘違いが、嬉しいと思ってしまうんだ。
壁際にいた私を恭弥さんは抱きしめたと思ったら、その手は腰にまわり、持っていた破けてボロボロになった腰紐で私の着物を留めた。
肩に埋まっていた恭弥さんの頭はそのまま動かず、「今度からは僕が着付けなきゃいけないね・・・僕しか解けないほど、きつく」そう小さく聞こえた。
「ねえ、どこ見られたの?」
「み、見られてない」
その至近距離と言動が心臓に悪すぎて。距離を置きたくて、体を離そうとしても力が出ない。
私が草壁さんをかばっていると思ったのか、また恭弥さんは面白くなさそうな顔をして。
少し頭をずらして、今度はその唇を鎖骨に当てる。
「ここは、見られたの」
「見られてないって・・・言ってるでしょっ」
「肌着は? 脚、まさか胸は見せてないよね」
「なにも見られてないってば!」
せっかく綺麗な状態のまま腰紐を結んだのに、
確かめるようにそれぞれの場所に触れていく恭弥さんの手のせいで、また崩れていく着物。せっかく、せっかく綺麗にしたのに。
それ以上に恥ずかしくて距離を取ろうとするのにやっぱり力が入らなくて。(この感情は力を奪う)
せめて逃げようと体をひねるもんだから、余計に着崩れるのかもしれない。けれど、そうでもしないと心臓が爆発してしまいそうだ。
壁にもたれてたものの、ついに足の力も抜けて座りこむと、その衝撃でボロボロできつく締められなかった腰紐が解けていく。
私を追って恭弥さんも屈むと、解けた腰紐を拾う。腰紐を見続ける。
それはさっき草壁さんから奪ったときのように黙り込んで眺めていて、さっきまでの悔しそうな顔はより口角を下げてしまっていた。
腰紐を熱心に見る恭弥さんに違和感を覚え、声かけようにも鼓動が落ち着かない。
「草壁に解かせるために買ったんじゃない」「え?」
鼓動が落ち着く前に、恭弥さんは呟く。そしてその意味に驚く。
「恭弥さんが・・・買ったの?」
「・・・こんな女々しい腰紐が、この屋敷に常備されてると思ったのかい」
腰紐に女々しいものがあるかはわからないけれど(言われてみれば少し桜色かもしれないけれど。淡い淡いそれはもう淡い桜色)
その様子を見て、もしかしてこの着物一式、全部恭弥さんが私のために買いにいってくれたものなのかもしれないと理解した。
恭弥さんの性格からしてそんなこと一切思ってなかった私は、不意を突かれたようにまたドキドキしてしまって。
さっきのもまだ落ち着いてないなか、いい加減胸の鼓動で疲れてきた私は、やっぱりこの心臓を守るため恭弥さんと距離をとろうとする。
でも嬉しかったから、「用意してくれてありがとう」と顔を背けながら、壁と恭弥さんの間から抜け出しながら言うと、
後ろからガバッと勢いよく抱きしめられて、心臓が飛び出るかと思った。きょ、今日心臓に負担かけすぎる・・・。
「どこ行くんだい」
「どこっていうか・・・」
今度こそ腰にまわされた恭弥さんの腕を、ゆっくり解こうとしながら言い逃れようとする。
しかしその腕を解こうとしたのが気に障ったのか、そのまま着物の脱がそうとする恭弥さん。
慌ててその手を止めようと、後ろにめくられる着物に沿って恭弥さんへ振り向くと、間近に恭弥さんの顔。
「絶対に他のやつが解けない着付け方いまから教えるから、一回脱がすよ」
たどり着いた唇に、私の心臓もついに爆発してしまった。
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甘い雲雀さんを書いてみたかった。
満足。
2015.01.06